
こんにちは、yu-です!
今回の記事では、ディズニー・ピクサー映画「インサイド・ヘッド」についてネタバレありで映画の感想&考察をお届けします◎
2024年に続編「インサイド・ヘッド2」が公開され、改めてシリーズ最初の作品である「インサイド・ヘッド」を見返している方も少なくないのではないでしょうか。
かくいう私もその一人。
改めて、その物語の魅力と感想について振り返っていきたいと思います!
Contents
映画概要・あらすじ(インサイド・ヘッド)
劇場公開日 | 2015年 | ||
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監督 | ピート・ドクター | ||
音楽 | マイケル・ジアッキーノ | ||
上映時間 | 94分 |
11歳のライリーが新しい街へ引っ越すことになり、感情たちはライリーが変化に対応できるよう協力し合う。ヨロコビ、ビビリ、イカリ、ムカムカ、そしてカナシミは力を出し合うが、ヨロコビとカナシミが司令部の外に放り出されてしまった。元の場所に戻るため、2つの感情は未知の冒険に出発する。
【ネタバレ感想】
⚠以下より物語のネタバレを含みます⚠
①ライリーと感情たち
物語の幕開けは、主人公である人間の女の子、ライリーが誕生したところから。
ライリーがこの世に誕生し、そしてその瞬間ライリーの頭の中には”ヨロコビ”の感情が誕生しました。
頭の中の概念が形に!
「インサイド・ヘッド」の最大の特徴はこれ。
主人公はライリーなのですが、実際に映画の中でメインで描かれるのは、ライリーの頭の中の”感情たち”の姿。
実質的には、最初に誕生した感情である”ヨロコビ”が物語を牽引していきます。
ヨロコビやカナシミ、イカリといった感情が擬人化され、それぞれ意思を持って喋り、動く。
それぞれが一人のキャラクターとして活き活き動きながら、でも”感情”であるという概念であることも手に取るようにわかる。
このあたりの絶妙な匙加減が見事だなあ…、と映画全体を通してとっても強く感じます。
ピクサーでは今までにおもちゃの世界や車の世界といった、現実では”命”を持たないとされているモノたちにスポットを当てて見事なキャラクターを生み出していましたが、今回は”感情”という非常に抽象的なモノが対象。
であるにも関わらず、ここまで活き活きと、でも矛盾も違和感もない世界を作り出せるのは凄いことだと思います。
冒頭のシーンでは感情たちのほかにも、頭の中にある様々な抽象的な物事に形が与えられます。
- 思い出は感情の色合いとともにボールになって蓄積されていくこと
- 一日の思い出は夜に長期貯蔵庫に運ばれていること
- 「特別な思い出」は司令部に保存されて、「性格の島」を形作ること
- 「性格の島」がライリーの性格を形作ること
どれも、なるほどなあ…と思わせられる形ばかり。
実際に自分の頭の中も、こんな構造になっているのかもしれないなあ、と思わせられるのが面白いですね。
それぞれの感情には役割がある
冒頭では、上記に加えてヨロコビより、「それぞれの感情には役割がある」ということが説明されます。
ヨロコビはライリーを楽しい気持ちにする。
ムカムカは嫌いなものを拒絶し、イカリは腹が立った時に怒りを爆発させ、ビビリ危険からライリーを守る。
でも、ライリーを悲しませてしまうことしかできないカナシミの役割だけは謎に包まれているのでした。
②11歳のライリーに”引っ越し”という試練が訪れる
幸せに暮らしていたライリーに、大きな転機が訪れます。
それは、引っ越し。
両親の仕事の都合上、住み慣れたミネソタ州を去り、遠く離れたサンフランシスコに移り住むことになるのでした。
ここから物語が大きく動き出します。
11際のライリーにとって、住み慣れた大好きな場所を離れて全く見知らぬ街で生活を始めることは、まさに試練に他ならず。
ライリーの頭の中の感情たちも混乱しつつ、なんとかいい方向に舵を取ろうと奮闘します。
ヨロコビとカナシミが行方不明に
そして迎えたライリーの新しい学校への初登校日。
皆の前でミネソタ州の楽しかった思い出を思い出しつつ自己紹介をするライリーですが、そこでカナシミが思い出ボールに触れてしまい、楽しかった思い出が一転して悲しい思い出に。
ライリーは皆の前で泣きじゃくってしまいます。
ライリーの頭の中では、思い出ボールを触れようとするカナシミと、それをやめさせようとするヨロコビが揉み合い、二人は司令部の外に放り出されてしまうのでした。
③ヨロコビ不在の司令部と感情たちの奮闘
さて、ヨロコビ・カナシミが司令部から放り出されてしまい、残ったのはムカムカ・イカリ・ビビリの3人。
これまでヨロコビ主導で進めていた彼らにとって、この局面でのヨロコビの不在はかなり困った事態となりました。
感情のコントロールを失うライリー
ヨロコビ不在の中でも、なんとかライリーを幸せにすべく奮闘する3人。
ですが、やはりヨロコビ不在では何も上手く行かず。
ライリーの大切な”性格の島”も徐々に崩れ落ちていってしまいます。
両親から学校について問われ、ムカムカ・イカリの感情のままにぶつかるライリー。
それを心配しつつも対処しようとする両親の頭の中も描かれ、傍から見ている我々としては各々の考え方がわかる一方、どんどん対立していく様子がなんともリアル。
普段の生活の中で身近な家族と言い合いになったりすることはしばしばありますが、確かにこんなふうに頭の中は大議論状態なんですよねえ…。笑
その中で、ライリーのように一部の感情が雲隠れしてしまい、全体としてコントロールが効いていない場合は、こんなふうにこじれてしまいがちです。
生活の中の「うわあ…あるある」と思うシーンが分かりやすく描かれていて、非常に共感しやすいシーンでしたね。
ライリーのお母さんが苛ついた挙げ句に、イケメンのパイロットを思い出し夢想するシーンには、思わず笑ってしまいました。笑
分かるよ、そういうこと、やっちゃう…。←
ビンボンとの出会いと冒険
一方司令部から放り出されたヨロコビは、ライリーのためになんとか司令部に戻ろうと奮闘。
その間にもライリーの性格の島はどんどん崩れており、もはや一刻の猶予もありません。
一方カナシミは、相変わらずいつものようなマイナス思考の様子で、「どうせ無理だ」と諦めてしまっている様子。
そんなカナシミを奮い立たせつつ、なんとか前向きに進みつづけるヨロコビは、かつてのライリーの空想上の友達である”ビンボン”と出会うのでした。
ビンボンは幼い頃のライリーといつも一緒に遊んでいた、イマジナリーフレンド。
見た目はピンク色の象と猫を合わせたような姿をしており、綿あめのような肌感、鳴き声はイルカで、涙はキャラメル味のキャンディでできている、というようにライリーの好きなものが掛け合わされた存在でした。
ああ、そういう空想上の存在、あったなあ…と思い出します。
今ではもうそこまで明確な造形までは覚えていませんが、言われてみれば例えば公園に遊びに行った時、例えば両親と買い物に行った時、いつも空想し一緒に冒険していたような、そんな物語を描いていたような、淡く脆く薄い思い出が残っています。
ライリーにとってのそういった存在が、ビンボンだったのでしょう。
なぜこんなところに?とヨロコビに問われ、ビンボンは「ライリーは最近はもう空想上の友達はあまり必要では無くなったみたい」と返します。
まさに私も思い出していた通りで、昔は毎日のように一緒に遊んでいたはずなのに、今ではこんな淡い記憶になってしまっています。
なんだか申し訳ないような、でも懐かしいような、複雑な感情をビンボンに抱かずにはいられませんでしたね…。
そんなビンボンは司令部への帰り方を知っている、とのこと。
こうしてヨロコビとカナシミはビンボンの先導のもと、司令部を目指す冒険を繰り広げるのでした。
頭の中の色々な世界
ビンボンとともにヨロコビとカナシミは、初めて司令部の外の頭の中の世界を旅するのですが、そこで描かれる概念がとっても分かりやすく納得感のあるもので、「本当にこんな仕組みになっているのかもしれない」と思わせられるのが面白かったですね…!
- 記憶の長期保存庫:定期的にメンテナンスされ、色褪せて不要と判断された記憶は”ゴミ捨て場”に送られ忘れられる
- 抽象的思考:”孤独”や”絶望”といった抽象的思考を作り出す
- 夢スタジオ:夜に見る夢を作り出す
- 考えの列車:アイデアを司令部に送り届ける
- 潜在意識:忘れたい記憶や恐怖の記憶を閉じ込めてある場所。たまに飛び出してくる。
特に記憶の長期保存庫の設定には納得。
だから物心が付く前の記憶がほとんど抜け落ちていたり、どんなに楽しかった思い出でも一部歯抜けになっていたりするんですねえ…。
ちょっと頭の中のメンテナンス要員にはもう少し物申したいところです。笑
できれば資格試験の時とか、知識を詰め込むときはできるだけその領域を広げて捨てないようにコントロールしたいところですが…、このメンテナンス要員には全く感情からのアプローチが効かなそうですね。残念。←
④決断と絶望
ヨロコビたちが司令部の外で奮闘している間も、ライリーを取り巻く状況は刻一刻と変わっていきます。
すでに崩壊している「おふざけの島」に加え、ミネソタでの親友メグに新しい友人ができたことにカッし、「友情の島」が崩れ。
ホッケーの入団テストでも思うようにプレーできず、「ホッケーの島」も崩壊。
ここで司令部のムカムカ・イカリ・ビビリは現状を打破すべく、ある一手を打つことを決断します。
司令部ではライリーに家出をさせることを決断
それは、ライリーに家出をさせること。
「幸せな思い出は全てミネソタで作られたものだった」
そのことを胸に、イカリがライリーに家出をけしかけます。
これで万事うまく行くと考えた感情たちですが、ここでミネソタへ向かうバスの費用にライリーがお母さんの財布からカードを抜き取ったことで「正直の島」も崩壊。
最後に残った「家族の島」も崩壊してしまい、”考えの列車”に乗り司令部へと向かっていたヨロコビとビンボンは、記憶のゴミ捨て場に落ちてしまうのでした。
性格の島がすべて崩壊してしまったのを見て、ムカムカ・イカリ・ビビリは焦ってライリーの家出を止めようとしますが、すでにライリーは一切の感情を受け付けない状態に。
司令部にあるパネルも全く機能せず、ライリーは突き進んで行ってしまうのでした。
何も感じることができず、今まで築いてきた性格も手放し閉じこもるライリーの姿。
その時の司令部や頭の中の様子。
このあたりが視覚的に描かれることで、非常に納得感のある、同時に共感しやすいシーンになっているのだと思います。
ライリーはもう、家出してミネソタに帰る、という考えにだけ囚われて、感情たちの呼ぶ声も何もかも耳に入らなくなっているんですね…。
カナシミの感情は何のため
一方記憶のゴミ捨て場に落ちてしまったヨロコビとビンボン。
絶望に暮れながらヨロコビが手元の特別な思い出を見ていると、ある思い出に悲しみと喜びが混じっていることに気がつきます。
それは、ライリーがホッケーの試合で皆に胴上げをされているという明るい思い出。
ですが、よく見てみると実は負けて気を落としているところをみんなに励ましてもらったという思い出だったことに気がつくのでした。
明るい思い出には、実は悲しみの思い出が混ざっている。
悲しみの思い出がスタートになっているからこそ、その後の思い出が明るく輝く。
明るい部分だけがあれば良いのではなく、悲しみの思い出も含めてライリーにとって”特別な思い出”なのだ、ということ。
初めてヨロコビはここでカナシミの大切さに気がつきました。
同時に、見ている私も「悲しい感情もひっくるめて大切なんだ」ということに改めて気付かされます。
悲しい感情をすべて捨て去ってただただ明るく生きるのではなく、悲しみも含めて大切にしてもいいんだよ、という温かなメッセージを強く感じさせてくれました。
⑤ライリーと感情たち
そして物語は終盤へ。
ビンボンの決断
カナシミの大切さに気が付き、ヨロコビは再びライリーのために司令部に戻ることを決断。
ここで、ビンボンとライリーがかつて空を飛んだロケットが捨てられているのを見つけ、ビンボンとともに歌を歌い、ゴミ捨て場からの脱出を図ります。
が、何度やっても”あと一歩”が届かない。
それでも決して諦めないヨロコビの様子を見たビンボンは、”自らはゴミ捨て場に残る”という決断をして、ヨロコビを地上に送り返すのでした。
このときのビンボンの様子がもう、なんとも切ない…。
「ライリーを幸せにしてくれ」というメッセージを残して消えて、忘れられていくビンボン。
私自身も”ビンボンのようなイマジナリーフレンドが居たなあ”みたいな淡い記憶が残る程度ですが、実はこんなふうに頭の中での冒険と、私のかつての親友の決断があったから、今の自分があるのかもしれない…。
忘れる、ということのどうしようもなさとその切なさを思い胸が締め付けられるシーンでしたね…。
悲しみの感情を吐き出して
ビンボンの助けを借りて地上に戻ったヨロコビ。
ビンボンを失った悲しみを抱えつつ、ライリーのためにカナシミを見つけ出し見事司令部へ帰ることに成功します。
司令部へ帰ってきたヨロコビは、司令をカナシミに任せることで家出を思いとどまらせることに成功。
家族と再会し、「本当はミネソタが好き」「前の家に帰りたい」と涙ながらに自分の本心を打ち明けたライリーに喜びと悲しみの感情が混じった”特別な思い出”が生まれ、その思い出が全ての感情の島を復活させるのでした。
今まではカナシミを不要として締め出していたヨロコビでしたが、カナシミの大切さ、その役割に気がついたことで、最終的にカナシミがライリーを救うという展開に。
悲しみを抑え込むのではなく、あえて吐き出すことも大切だ、ということに、改めて私自身も気が付かされましたね…。
最後に家族で抱きしめ合うシーンは思わずぐっとくるものがありました。。
乗り越えたライリー
無事危機を乗り越え、一段と輝きを増したライリー。
司令パネルも大きくなり、性格の島も新しく構成され、より力強く輝くものに進化していました。
かつてのように一つの感情だけが込められた思い出だけでなく、複数の感情が混ざった思い出も増え、より一層ライリーが深みを増したことが描かれて物語は終わりを告げます。
ただ、大きくなった司令パネルの端には見慣れない「思春期」という見るからに危なげなボタンが。
この「思春期」ボタンについての物語が、「インサイド・ヘッド2」に続く、というわけですね。
エンドロール:誰の頭にも感情がある
エンドロールでは作中に登場した人物たちのその後と、それぞれの頭の中の様子が描かれました。
これがまた面白い。
学校の先生は授業中に次の旅行のことを考え。
ピザ屋の店員は自分が不機嫌な理由を自問自答し。
強がっている女の子は実は格好つけることに疲れていて。
ピエロにも悩みがあり、バスの運転手の頭の中にはガムのCMが流れる。
最後に、犬と猫にも感情があることが描かれました。
犬は食べ物につられて全感情で突撃を命じてしまうし、猫は気ままにすべてのボタンを押して行ってしまいます。
両者あるあるで笑っちゃいましたね!笑
皆こうして感情に振り回されつつ、ときにコントロールしつつ、日々いろんな考えを溢れさせながら生きているんだな、という当たり前でありつつふと忘れてしまいがちなことを改めて思い出させてくれる作品だったなあと思います。
まとめ
今回の記事では、映画『インサイド・ヘッド』について、ネタバレ感想をお届けしました。
- 人間の感情を擬人化したユニークな物語
- 感情たちが協力しながら主人公ライリーの変化を支える姿を描き、日常の「あるある」を共感できる形で表現
- 頭の中の世界観が見事に構築され、笑いと涙に満ちた感動作!
一つ一つのシーンも素晴らしく、そして共感でき、面白く。
実は私自身の頭の中も、いつもこんなふうに賑やかに感情たちが議論を戦わせて、いろんな事件を乗り越えつつ今を構成しているのかもしれない…、とワクワクと想像できるのも良いところでした。
『インサイド・ヘッド』は2024年に続編となる『インサイド・ヘッド2』が公開されています。
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