こんにちは、yu-です!
今回の記事では、ディズニーピクサー映画より
「レミーのおいしいレストラン」
について紹介したいと思います!
Contents
作品情報
公開年 | 2007年 |
上映時間 | 112分 |
原題 | Ratatouille |
スタッフ | 監督 ブラッド・バード 脚本 ブラッド・バード 製作 ブラッド・ルイス 製作総指揮 ジョン・ラセター、アンドリュー・スタントン |
おすすめ度 |
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この物語の主人公レミーは種族名:哺乳類ネズミ目の正真正銘ネズミ。
ネズミといえば世界的に、というかディズニー的に超有名なあのネズミを思い浮かべますが、彼とは異なりレミーは進化前のネズミ of ネズミです。
原題「ラタトゥイユ」に込められた意味
ところでこの映画の原題は、「Ratatouille」。
カタカナで表記すると「ラタトゥイユ」となるこの原題は、フランス南部の伝統的な家庭料理である野菜煮込みを表しています。
この写真のように綺麗に盛り付けられて提供されることもあれば、
こんなふうに煮込まれた状態のまま提供されることも。
…ちょっと両方の写真共にめちゃめちゃ綺麗な盛りつけなので当てになりませんが、要は盛り付けはラタトゥイユの構成要素としては関係がなく、
- ズッキーニや玉ねぎ、ピーマンなどの数種類の野菜がスライスにされている
- トマトや香草と一緒にオリーブオイルで炒め煮にされている
これが「ラタトゥイユ」の特徴となります。
さて、一方ネズミを英語にすると「rat」ですね。
実は原題の「Ratatouille」は、主人公のレミーがネズミであることから、ネズミの意を表す「Rat」とかけられているのです。
英語版のポスターでは“rat・a・too・ee”と発音を強調しており、「Rat」をはじめから強く意識しています。
常々思っていますが、邦題でこういったこだわりを消してしまうくらいなら原題のまま公開してくれればいいのに。。
あらすじ
ある嵐の日、レミーは家族と離ればなれになり、地下水路を流れていってしまう。
ところが地上に上がってみると、そこは華の都パリ。そして憧れのレストラン「グストー」であった。レミーがレストランを除くと、そこでは母の遺言に従って店にやって来たばかりの見習いシェフ、リングイニが大事なスープを台無しにしてしまっていた。
それを見たレミーは思わずスープを作り直してしまうが、リングイニに見つかり捕まってしまう。
一方でレミーが作り直したスープがお客さんに提供されると、なんとスープは大好評。
そして一人と一匹は互いに協力することを約束する。
リングイニは一人前の料理人として認めてもらうために。
レミーは自身の料理の才能を活かすために。
こうして一人と一匹の猛特訓が始まった…。
主要登場人物
非常に知能が高く、人間の会話と本に書かれた文章を理解することができる。
母親のレナータから渡された紹介状でようやく雑用係としての仕事にありつく。
彼自身には料理の才能はまったくなかったが、レミーと出会い、「ボクと君でパリ一番のシェフを目指そう」とレミーに提案した。
リングイニの教育係となり、彼のことを日々厳しく鍛える。
料理人としての実力は高く、グストーのレシピを全て会得し、忠実に守り続けている。
料理界で最高の権威を誇り、彼の評価でつぶれたレストランや失業したシェフは数え切れないほどあるという。
「愛せる料理のみ口にする。愛せない料理は喉を通さない。」というポリシーをもつ。
本「誰でも名シェフ」の著者。
評論家のイーゴから四つ星降格の酷評を受けた直後に他界、さらに料理界のしきたりでレストラン「グストー」はもう1つ星を失い三つ星となってしまった。
【ネタバレ感想】「誰でも名シェフ」の真の意味
ここからは、「レミーのおいしいレストラン」のネタバレ感想をお届けします。
現実味のない物語だけど、現実味のある世界観
この物語は、超大雑把に説明すると
「料理の天才のネズミのサクセスストーリー」
ということになります。
正直この事実自体ははっきり言って全く現実味がなく、”ありえない”物語です。
ですが、「ネズミを料理をする」という一点以外はすべて、現実的に違和感の無い設定となっているのです。
まず、人間とネズミは意思疎通が取れません。
正確には、ネズミは人間の言葉を理解しているのですが、人間側はネズミの発する言葉が理解できないのです。
また、人間はきちんとネズミを毛嫌いし、害虫として扱います。
ネズミを見かけたら当然のように駆除しようとするし、「あっちいけ!汚い!」というリアクションを取るのです。
ディズニー映画では人間と動物が会話ができることが割と普通のある中で、これは意識的にやられてると見ていいでしょう。
さらに結構ディズニーの世界はネズミに優しいのです。笑
現実では我々人間様は人生に一回はネズミを駆除した経験があるはずなのに、ことディズニーとなると何故か人間とネズミが仲良くなっているんですよね。
このあたりを「レミーのおいしいレストラン」では、現実に即した状況を丁寧に描いているのです。
ネズミはネズミ、人間は人間
正直見ていて思ったことは、どうしても人間様の感情として
と感じてしまうことでした。
だってそう思いませんか?
仮に、どんなに美味しくてもそれがネズミの手によるものだと知ったら、それを果たしておいしいと思うことができるのでしょうか。
相手は害虫です。
もし自分が飲食店を経営していたら、もっとも避けるべき存在なのです。
また、ネズミは群れて生きる生き物。
作中でも大量のネズミ(=レミーの家族)が一斉に逃げたり、ラストシーンでは皆で料理を手掛けたりするのですが…。
ごめんなさい、やっぱりちょっと気持ち悪いです。笑
ドアを開けたら大量のネズミが料理をしている…、という光景は正直トラウマになりそうです。。
ネズミはネズミなのです。
また、作中リングイニがネズミのレミーに頼っていたことを料理場の仲間にカミングアウトするシーンがあります。
これはこれでレミーの目線から見るとかなり感動的なシーンなのですが、実際には料理場の仲間は”ネズミ”が料理をすることが受け入れられず、皆立ち去ってしまいます。
結局、人間は人間なのです。
人間・ネズミである前に「料理を愛する」ひとたち
でも、この物語の登場人物は違うのです。
ネズミが料理をすることを受け入れ、何度もレミーと喧嘩しつつもレミーを受け入れ、頼り、信頼するリングイニ。
一度は調理場を離れつつも、グストーの「誰でも名シェフ」という言葉を思い出して、レミーを受け入れたコレット。
レミーの存在に驚きつつも、その確かな料理の腕を知り、彼を認め、自身の幸せの糧としたイーゴ。
そして、自身はネズミでありながら、料理を愛し、料理に惜しみない愛情を注ぎ、その才能を彼自身の勇気によって開花させ昇華させた、ネズミのレミー。
彼らは、料理人であるとか評論家であるとか、ましてや人間であるとかネズミであるとか。
そんなことより以前に、「料理を愛している」のでした。
それ故に、彼らにとっては最終的にはそんな前提など関係が無いのです。
おいしい料理を食べること。
おいしい料理を食べてもらうこと。
それが全てなのです。
【ネタバレ感想】アントン・イアーゴの記事には学ぶべきことがある
もう一点、どうしても触れたいのが、終盤ほぼラストシーンの部分で語られる、アントン・イアーゴの掲載記事。
この文章には、揺さぶられました。
レストラン「グストー」を訪れ、ラタトゥイユに感激し、それを作ったシェフの正体を知った彼が書いた記事のことです。
以下、その文章を引用します。
評論家の仕事は総じて楽だ。
リスクも少なく、立場は常に有利だ。
作家と作品を批評するのだから。
そして辛口の批評は我々にも読者にも愉快だ。
だが評論家は知るべきだ。
世の中を広く見渡せば、
平凡な作品のほうが意味深い。
平凡だと書く評論よりも。
だが我々がリスクを冒す時がある。
新しいものを発見し擁護する時だ。
世間は新しい才能に冷淡であるため、
新人には支持者が必要だ。
昨夜私は新しい体験をした。
あまりにも意外な者が調理した見事なひと皿。
それは 良い料理に対する私の先入観への挑戦だった。
いや もっと言おう。
「心底 私を揺さぶった」と。
以前 私はグストーの信念を軽蔑していた。
「誰でも名シェフ」を。
だが今、
彼の真意を理解できたと思っている。
誰もが偉大なシェフにはなれない。
だが どこからでも偉大なシェフは誕生する。
今 グストーの店にいる、
天才シェフが見事に証明している。
私が思うに 彼こそ
フランス最高のシェフではなかろうか。
私はあの店に行く。
もっと腹をすかせて。「レミーのおいしいレストラン」より引用
文章そのものも衝撃でした。
こんな文章がかける人になりたいものです。
【まとめ】すべての料理を愛するひとへ
今回の記事では、ディズニーピクサー映画より「レミーのおいしいレストラン」のネタバレ感想を紹介しました。
すべての料理を愛する人へ送る、美しい音楽にのせられた素敵な物語。
昔は見たけれどちょっと忘れちゃったなあ、という人は是非もう一度見直してみてはいかがでしょうか?
ディズニープラスは初月31日間無料のため、ぜひこの機会に見てみては??
このご時世、家の中で思い出のあの映画を是非楽しんでみてはいかがでしょうか?